経営とか個人の雑記

弱小経営者頑張るが悩みを書いておく日記

コミュニケーション・バイパスはなぜ起きるのか

コミュニケーション・バイパス。コミュニケーション・デトゥアーとも言えるかもしれない。
迂回のコミュニケーションである。

Aさんをこうだと思う、Bさんはこうだよね。
こういった会話はポジティブな会話でもたくさん生まれる。

他人に対する賞賛を違う人に行うのは自然発生的だと思う。いいことだね。
以下この内容の目次です。

コミュニケーション・バイパスとは

これが、「Aさんにこう言ってはどうだろうか」「Aさんにこうしてほしい(と自分は言えないので言ってほしい)」といったことに繋がるケースがある。これを聞くと、「ああ、デトゥアーが起きているなあ」と感じる。いいでも悪いでもなく、起きたなと思うのです。

AからBに直線ルートがあるが、それを知っていてあえてCを経由する。
兵法や移動で考えると、「直線でいけなくはないが補給しておくことがリスクヘッジになる」ことだったり、「AからBに障害があるからCを経由する」「AからBへは行けなくはないが坂道がある」というようなケースに、「Detour」と書かれる道標を置く。

それでA→C→Bと経由するとBにいける。最短距離ではない。だがそれが効率的であると思われる。

これがコミュニケーションで発生するケースはどんな場合なんだろうか?

パターン化すると以下かなと思う。

コミュニケーション・バイパスが起きる瞬間に起きていること

なぜコミュニケーション・バイパス、デトゥアーが起きるのか?それは4つに分類出来るのではないかと思う。

  1. その人のコミュニケーション特性を理解していないので、伝え方や伝わり方が不透明である。それ故特性を理解している人へDetourする。
  1. その人の最近の状況がわからない。何をしていて、何に困っているのか、ネガティブ側の要素が見えない。それ故その人のネガティブ要素を理解している人へDetourする。
  1. そもそもコミュニケーションしたくない感情を持っている。コミュニケーションした際にネガティブな印象を持った。それ故コミュニケーションを回避するためにDetourする。
  1. 人間関係的に直接コミュニケーションをするルートが存在しない。本人ではない代理人によるコミュニケーションが望ましい、例えば弁護士が絡む問題などがあるためにDetourする。

例えば、「お父さんに直接言うのは嫌だな。ママに言うから、お父さんに伝えてもらえないですか?」こんな瞬間もバイパスが行われている。

コミュニケーション・バイパスには、バイパスしたい側のニーズがあると思う。

コミュニケーション・バイパスをする側の期待値

  1. コミュニケーションのトンマナがわからない。その理解をする時間を短縮する、関心がないから、お願いする
  2. その人の近況を人づてに聞いては本当の状況を理解できない。その前提でコミュニケーションしては思わぬ理解不足から、コミュニケーション・ロス(前提条件の不一致)が発生し得る。そのリスクを会費したいから、お願いする
  3. コミュニケーションを取るのが率直に嫌だ。過去に嫌な経験をしているので、それをもう再現したくない。だから他の人に依頼する。これは完全にコミュニケーションの代打的存在だ。
  4. そもそものルートがないために、効率的なコミュニケーション手段の代行をお願いしたい。

コミュニケーション・バイパスが発生した瞬間に、それがどのパターンなのか判断し、それが期待するものか?期待しないものか?よく考えてみる。もし期待しないコミュニケーション・バイパスが起きていたとき、Detourの道標が置かれまくっている道路を想像してみる。

・・・めちゃくちゃ混乱する。行っても行っても、「迂回せよ」だ。

迂回ばかり起きているコミュニケーションはとても難しくなる。電話の交換手状態だ。
誰かが交換手になって、それだけで一仕事になるし、「AさんとコミュニケーションするならCさんにお願いする」という謎のプロセスが生まれる。電子回路では最短距離が常に求められながらも、コミュニケーションではそうはいかないことがある。

意思決定のフローを登っていくのはコミュニケーション・バイパスではない。そもそもそれはルート上にあるからDetourではないのだ。

コミュニケーション・バイパスにどう向き合っていくか

これはなにも日本だから起きるとかそういうことではなく、インドでも中国でもアメリカでも起きている、人間社会の構造だと思う。
それが期待しないことだったなら、

  1. コミュニケーションしたくないようなオーラを持ち得る、発信者と受信者どちらにもバイパスしないようにお願いする。
  2. バイパスが起きる原因が相互理解の不足であれば、相互理解を深める情報を出し合うようにお願いする。
  3. そもそもコミュニケーションしたくないようであれば、どんなコミュニケーションは快適で、どんなコミュニケーションは不快なのか定義する。そのうえでお互い快適なコミュニケーションを取るように努める。

基本的に相互理解を深めることが大事である。相互理解を深めたくないようなら、そこからがスタートだ。
家族でも、学校でも、会社でも、組織である限りこれは起きる。
部活だったら、バンドだったら退部したり新規加入があったりで、その中でコミュニケーションが磨かれ、バイパスが少なくなり、「言いたいことが素直に言える」状況になる。これは至高の状態だ。わたしもあなたも止める人がいない。

そんなことは理想かもしれないが、小さな人数なら努力で、4-6名程度であればそれが実現できるのではと思う。
100人規模で言いたいことは言い合えないと思っている。組み合わせが無限に近いくらいあるし、相互理解がどんなに時間があっても足りないだろう。それ故の細分化だ。グループに分けていく。A班、B班、と特徴のあるチャンクを作る。目的ベースでもいい。

相互理解をしたいと思うためには、互いの尊重がなければそれは実現できない。いがみ合っているとか、卑下していては理解は進まない。お互いが「お前を大好きだな~」と思い込み、自分に何度も言い聞かせられるような人がその組織には必要だ。そのポジティブなパワーが波及していく。人は人の真似をする生き物だから。

簡単にネガティブなコミュニケーションは出来る。悪態をついたりするのはとても楽だ。
人間社会に求められるのはその逆で、自律できないとポジティブなパワーは出せない、もしくは天才的にポジティブな人もいる。

いい環境は黙ってやってくるほど甘美なものではなく、その中にいる人達の努力で実る、動物的集団の理想像だと思う。
そんな集団は強く、生き残る集団になるはずだ。